鈴木孝幸/Takayuki Suzuki
砂地で本を読む place/words

会期: 2020年9月5日[土] - 9月27日[日]
開場時間: 9:30 -16:30
※水曜日・木曜日休校
会場: 旧門谷小学校 [愛知県新城市門谷字宮下26番地]
作家在場日: 9月5日、6日、11日、13日、18日、20日、21日、25日、27日

kadoya-art.com

トークイベント
『鈴木くん人の話しを聞く』
日時: 9月27日[日] 13:30 - 16:00
会場: 旧門谷小学校地内
取扱作家、鈴木孝幸は新城市鳳来寺表参道にある旧門谷小学校の空間を利用して、作家達の作家逹による作家達の為の企画展を2014年から始め今年で7回目を迎えます。初めてグループ展でなく展覧会企画者でもある彼の個展形式にし過去6回を振り返るべくトーク 『鈴木くん人の話しを聞く』で言葉を交わします。かなり酷しい状況下にも関わらず繋げてきた彼を励ますためにも是非のご参加をお願いします。

コンセプト

人は時に忘れてしまいます。噂話も歴史的出来事も衝撃的なニュースも。好きだった料理も古い友人の名前も応援していた人も、昨日食べた物も自分が行った場所も自分の年齢でさえも。しかしそれらは、ある時にパッと思い出されます。文字、言葉、音、色、匂い、感触、、、
様々な体験を経て、自分の体験の歴史が呼び起こされる、といったところでしょうか。
そこで呼び起こされた感覚や認識は、必ずしも正しいものとは限りません。その人がその時に感じたことであり、記憶のかけ違い、勘違いであることもしばしば。あくまでも、個人的な見解だからです。
しかし、何に対して正しくないのか、または正しいのか、どんな基準によってそうなのか。それもまた疑問符がつくところではないでしょうか。
納豆には◯◯や○○という臭気成分が含まれ独特なにおいを発する、という事実があり、これは、科学的な見地という視点から正しいということができます。それに対し、個人的な見解は、否定できる余地を多分に持ちながらも否定できる余地が全くない、とも言えるでしょう。本人がそう感じているのですから。納豆の独特なにおいの原因とそれぞれの好き嫌いの度合いは話の筋が少し違い、その好きという感想は否定しようのないものと言えるのではないでしょうか。

また、一方で。
個人的な見解と集団的な見解の区別がつかないこともしばしばあります。ある情報を元に、多くの人が同様の思考や行動、それに付随する体験をしている場合。みんなが一斉にトイレットペーパーなどを買い求める、我先に安全とされる場所へ向かう、全ての人が同じ正しさを主張する、といった状況などです。
この時、ある個人的な見解とまた別のある個人的な見解は、個人という矮小な世界を飛び出したかのようでもあります。何かを共有する、という喜びであり、右向け右の危険な状況、かもしれません。人は絶えず人とコミュニケーションをとりながら、影響しあいながら生きている。大切なことの証とも言えるでしょうか。

人はよく忘れてしまいます。しかし、主体として忘れることができない記憶というものがあります。例えある角度からは間違って見えたとしても、それはかけがえのないものです。
旧門谷小学校という廃校を舞台とした展覧会の7回目。もし過去の6回を振り返ることができるのならば、そこに、個人の見解はどのように現れてくるでしょうか。
展覧会企画者でもある鈴木孝幸の個展、過去6回の作品に新作を加えた展覧会を通して、旧門谷小学校という廃校での展覧会や作品、アートの魅力、地域との関わりを省みることができればと思います。
作品には言葉が見え隠れします。
学びの場という本来の意味を失い、浜辺の砂のようにその時々において流動的に姿を変えるこの場所で、作品鑑賞を通し、本を読むように様々な言葉が現れてくるでしょうか。
それぞれのかけがえのない記憶、新たな記憶、文字、言葉、音、色、匂い、感触、、、

鈴木 孝幸