25 Feb – 25 Mar 2023

大和由佳/Yuka Yamato
everyone and one

13:00-18:00
日・月休廊
Closed on Sun, Mon

[一つの卵による解体と分散のためのパフォーマンス(仮)]
展示中のインスタレーション作品を、一つの卵の割れをきっかけとした行為の場とします。
3月18日[土] 17:00 ~
3月21日[火・祝] 17:00 ~

※ ご来廊の際には事前に電話かメールにてご予約をお願い致します。
※ 土曜日と3月21日[火・祝]に限り、予約なしでご自由にご来廊いただけます。

─ 永遠にあなたを愛していますという言葉は信用されない。永遠と一日、あなたを愛していますと言えば、永遠のように人間が想像するには長すぎる抽象的な時間を伝えるための精確さが生まれる ─ ある詩人の本を読んでいたら、おおよそそんなことが書いてあった。『千一夜物語』の題名にも同じような効果があるという。(_1)

小学生の頃に習った世界人権宣言と私が「再会」したのは、2018年「共同体のジレンマ」展(_2)への参加に際して、作品をつくった時のことだ。“これまでに人間界で想像されたもっとも大きな共同体とは”と考えていて、歴史上はじめてそのような範囲を公に名指したのがこの宣言だと知った(_3)。
All human beingsから始まる条文を読んでいくと、30個もの「everyone」がでてくる。当時、制作の一つのアプローチとして発音のレッスンにしばらく通った私は、当然、頻度の高い単語は重点的に練習を重ねることとなり、やがて、文法上の主語である「everyone」は、世界に向けた不断の呼びかけでもあるのだと感じるようになった。

「everyone」は不思議な言葉だと思う。それを呼びかけるときの範囲は、ほとんどの場合、いつ、どこで、誰が発したのかで事前に決まっている。想定される「すべての人」以外は透明化され、また別のある集団に向けて「すべての人」が呼びかけられ、世界中には大小さまざまな「すべての人」が存在する。複数の「すべての人」に含まれて生きる人もいれば、どの「すべての人」にも含まれず、あるいは拒絶して生きる人もいる。

宣言が採択されたのは1948年のことで、その頃の写真に、起草者の一人であったエレノア・ローズヴェルトをはじめとして、女性や子供たちが宣言の印刷された巨大なポスターを広げて読んでいるものがある。宣言の理念を端的に伝えるかれらのイメージを、今見ている「私」もまた、名指され、呼びかけられる「one」である。

理念としてはどこまでも広がりうる「everyone」に、andをはさみ「one/一人」を並べる。そうするとeveryoneが、現実としての限定的な呼びかけであることが明らかになる(「一日」が「永遠」に精確さをもたらしたように)。しかし、今度はoneの孤立が気になりだす。andは加算というより、分離を強調している。そもそも一人の人間の生は、細胞だけを見ても膨大な生と死の交換からなる仮設のもので、その総体をoneで括っているにすぎないのだから曖昧なものだ。それらすべてをとりこぼさず、限定性をもたないeveryoneを、人の想像できる精確さで表すためには?

本展覧会では、一人と全体の間に行き交う呼びかけのありさまを、卵を媒体として(それは食料に、抗議に、画材に…と生きることのさまざまな局面で役に立つ)、空間に展開できればと思っている。

大和由佳 2023. 2. 8

_1 :J. L. ボルヘス『詩という仕事について』
_2:愛知県新城市を拠点としているアーティストの鈴木孝幸が、地元の旧門谷小学校で企画している展覧会の第5回目にあたる。
_3:各国の人権侵害を国内問題として放置したことが、第二次世界大戦を引き起こしたという深い反省のもと、国際連合によって世界人権宣言が作られた。これ以前のマグナ・カルタやフランス人権宣言などでは、国や階級などで区別し人権の保障範囲は限られていたため、世界中の「すべての人間」が生まれながらにして人権をもっていると明文化したのは、この宣言が歴史上はじめてだったと言われる。