23 Mar – 27 Apr 2024
鈴木孝幸/Takayuki Suzuki
まあるい地球とカクカクの僕 - place/retouch -
13:00-18:00
日・月・祝日 休廊
Closed on Sun, Mon and Holidays
※ ご来廊の際には事前に電話かメールにてご予約をお願い致します。
※ 土曜日に限り、予約なしでご来廊いただけます。
「まあるい地球とカクカクの僕」
place / retouch
遠くの空に見える飛行機が、飛行機雲を吐き出しながら下方へと進んでいく。
墜ちているのか。
染みついた上下左右の平たい感覚を修正する。
そういえば、私たちのいる場所は丸く立体的だ。
何かが横に進んでいくことは、紙の上で左から右に線が引かれることとは全く違うし、そもそもその何かからすれば、ただ真っ直ぐに進んでいるだけだったりする。
自分から見て遠ざかっていくように進む飛行機は、私の位置からは墜ちているようにも見えてしまう。
ただただ純粋で真っ直ぐな移動なのに、、、
視覚を追求したものでもそこから離れたものでも、「美術作品」と呼ばれるものを「見ること」と表裏一体で捉える時、目の補正、修正について思いが及ぶ。
美しいものが時間とともに歪んでしまったのであれば、修正したくなるし、割れてしまったのであれば、補修しなければならない。
これも必要なことだけれども、それを見る目の方にも、補正、修正の余地はあるようにつくづく思う。
生まれつきなのか、幼い頃から左目だけ視力が弱い。
右で見ればはっきりと、左で見ればぼんやりと。
周囲も医師も看護士も自分も、もちろん僕の目を矯正しようと頑張ったけれど、ただ、見えないなら見えないなりに見るので(対象を捉えるので)、そのぼんやりとした視覚の中にもまた、ある種の見える世界の矯正や修正があったのではないだろうか。
人によっても生き物によっても見えているものが異なる以上、私の目というのはなかなかに信頼しがたく、目には補正や修正がつきものなのかもしれない。
そういえば、、
地球は丸い。
そして、太陽を中心にぐるぐるまわりながら、その球体の表層部分もまたゆっくりと移動をしているようだ。
地球が平たかった時と地球の表面が頑丈でびくともしなかった時、人の見える景色はさぞかし違ったことだろう、と想像する。
動く地面と地球の丸さについてより深く明らかにされる時、そこにもまた、目の矯正が起きていくのだろう。
まあるい地球。
その在り方を意識する時、重力の向きも日の射し込み方も人の生きる時間も環境も、本当に様々であることが想像できる。
その広さと視点の多様さと丸さに対する憧れをしみじみと感じながら。
カクカクの僕はというと。
飛行機雲を眺めながら、地図を開きながら、衛星画像をスクロールしながら、歩きながら、ドライブしながら、たまに月を見ながら、カクカクな目に修正を加え、今日もまた彫刻をしている。
「彫刻家」とか、「現代美術家」とか、わりとカクカクしながら。