12 May – 23 Jun 2018

大和由佳/Yuka Yamato
軸/杖/茎
axis/cane/stalk

13:00-18:00 [開廊時間を変更しました]
日・月・祝日休
Closed on Sun, Mon and Holidays

Opening reception / 18:00 - 20:00, 12 May 2018
[初日18:30よりパフォーマンスを行います]

階下のスペースを舞台的な空間としてとらえ、初日、杖が立つパフォーマンスによって、インスタレーション作品の完成とします。舞台には布、干し草、靴などが層となって折り重なり、杖が立つ過程で、相互が干渉し秩序が変化していくことで、「立つことの場所」を現わすことを試みます。
階上のスペースでは、パフォーマンスのためのドローイングと、舞台での素材を引用し、それらが関係をとりかわす閉じられた矩形の作品などを展示する予定です。

ステートメント
古い写真の束が棚からでてきた。足元に広がる草を、少しだけ膝を曲げたくらいの高さから、何枚も何枚も撮っているが、まわりの風景が映っていないので、それがどこなのかも思い出せない。とにかくその草の有り様のすべてを覚えておきたいといった勢いで何枚も撮っている(そして、私はそのことを忘れてしまう)。葉はかたく枯れていて、垣間見える地面には少し新しい緑も見えるので、春に近い冬だと思う。それにしても、どうしてこんなに草が倒れているのだろう。写真の中の草は、明らかになにか外からの力で倒れこんでいて、横方向の強い直線が画面を貫いていた。

春、日ごとに青々とした草が目を見張るような勢いで伸びていく。河川敷の草地を杖を手に歩いてみると、風が吹きいっせいに草が波立った。時間を遠くへ遠くへと送り出していくように、そのとき草は倒れる隙のないほどしなやかで強い。振り返ると歩いてきた道は消えている。杖をついて歩くとき、大地が押し返す力を手で感じることができる。それはいつもは足が引き受けている、なんの神秘も教訓もない、私たち固有の存在の重みである。その重みに引き止められて、見たことのない地軸のまわりをぐるぐると回りながら、ひとはそれぞれの「前」という方向に生きている。足が日頃なにを思っているかはわからないけれど、上のほうについている脳や目や手とは全く違うように、私の身体を、世界を、感じているのだと思う。
私が制作で試みていることは、身体をどう把握するかということに尽きるのだと思う。たとえ足の視点をもてたとしても、自分の物なのに直接見ることなく終わるだろう様々な内臓たちの視点をもてたとしても、そのことがわかることはないだろう。どこを歩きどこを避け、何を食べ何を食べず、誰と共感し誰を嫌悪し、それに満足し自省して、取捨の渦中を生きる身体に輪郭はなく、なにをどこまでどのようにかはわからないまま、世界と相互に束ねられたりほどけたりを繰り返していくものではないか。

季節を経れば、この青い草も枯れ倒れていくとわかっている。その草叢の中で一束の身体を立ち上げたいと思う。
2018.4.1