鈴木 孝幸 Takayuki Suzuki
星か根か place / sight
星か根かvol.1 織田真二と鈴木孝幸と
5月10日[土] - 6月14日[土]
作家2名と石崎尚氏(愛知県美術館学芸員)によるトーク
「このごろおもうこと、ボクの目とみんなの目」
5月10日[土]15:00開始 (予約不要)
星か根かvol.2 花木彰太と鈴木孝幸と
6月21日[土] - 7月26日[土]
作家2名と石崎尚氏(愛知県美術館学芸員)によるトーク
「このごろおもうこと、見えてるのに見えない」
6月21日[土]15:00開始 (予約不要)
※ ご来廊の際には事前にメールでご予約をお願い致します。
※ 土曜日に限り、予約なしでご来廊いただけます。
※ 6月17日[火] - 6月20日[金]は展示替えのため休廊します。
(会期の前半と後半で展示内容は異なります。)

星か根か place / sight
以前、目の見えない方にお話を伺ったことがある。
彼は事故により視力を失った中途失明者で、失明した当初通っていた社会復帰のための施設で職員の方が紹介した新聞記事の話をしてくれた。
ある日、生まれつき目の見えない女の子がお母さんに質問をしたそうだ。
「お母さん、目が見えるってどういうことなの?」
お母さんは戸惑いながら、
「うーん、少し考えさせて、、」
そして、しばらく考えた後、
「〇〇ちゃん、あなたはここに物があるってことをどうやって確かめるの?」
「えーっと、手で触って分かるわよ。」
「そうだよね-。目が見えるっていうのはね、あなたのその目のところから手が伸びていって、すごく遠くの方に電車が停まっている、車が停まっている、そして山があるってことが分かるってことなのよ。」
「えーっ!目が見えるってそんなに便利なことなのー!」
彼はこのことについて、
「だから、目が見えるってことを素晴らしいとは捉えないじゃん。便利なことなんだ。」と話されていた。
目が見えないことは不便だろうという想像は何度もしてきたけれど、自分が普段当たり前にしている行動について、「素晴らしい」という表現よりも「便利なこと」という言葉を選択されたことが、どこか新鮮だった。
障害について理解したいと思っていても、その感覚を真に想像するのには、努力も知識も経験も、たくさん必要なのかもしれない。
そう感じるとともに、やはり女の子の手の話がとても強い印象として残った。
見るというのは、時に触れることとでもあるのだと。
私は普段、周囲の山を眺める時、何を見るのだろう。
日を浴びた新緑の美しさ、その曲線から感じる優しさ、ごつごつとした岩山の力強さ。
最近では、土砂災害についてのリサーチをしていたため、そこに「根」の集合や水の通り道が見えてくるようで、少し偏った目になっているようにも感じる。
この偏った目は、何に裏打ちされているのか。
盲目の少女になぞらえるのもおこがましいけれど、おそらくそれは、触覚を大切にしてきたからだろう。
遠くの方に新緑の美しいたおやかな山があるということを、目で触れて分かるだけでなく、どんな状態であるのか、どんな経緯でそのような形としてあるのか、これからどんな変化をしていくのか、内側はどうなっているのか、触覚を頼りにより多くのことを見ようとしてしまう。
天気が良く空気の澄んでいる日は、格別に綺麗に見える「星」。
偏った目は、どのように眺めるのだろう。
ただ綺麗なものは綺麗だと感じて静かに眺めていれば良いのに、きっと頭の中は、余計な ことばかり、、
あの月のボコボコはどういう経緯でできたのだろう、裏側はどうなっているのか、明日は どの位置に月があるのか、、、
星は、直接触れることはできないけれど、見上げれば私たちの目に映る。
植物の根は、地中にあって目には見えないけれど、手に取ってその存在を確かめることができる。
見ることについて考える時、両者はどこか、対照的なものとして。
そういえば、彼はこんな話もしてくださった。
「(目が見えないために、)美しいと言われれば、とんでもなく綺麗なものを想像してしまうけど、汚いと言われれば、とてつもなく醜いものを想像してしまう。」
視力を失った人でも、いろいろな想像で補いながら、確かに見ている。
たとえ視力を失っていなくとも、見ることが多様であることは間違いないだろう。
人によって、見えているものは違うのだから。
星を眺める時、ただただ見ることしかできないその関係性にもどかしさを感じるとともに、だから星は美しい、だから多くの人にとって美しいんだと感じることがある。
それは、絵を鑑賞している時に似ているのかもしれない。
私は絵を描かないけれど、そこでは何が見えているのだろう。
多様な「見る」に触れてみたいと思った。
見ることについて話してみたいと。
星を眺める時と植物の根に触れる時とでは、違う目を持っていて、感じられる事柄もまた。
偏った目は、矯正可能なのだろうか。
鈴木 孝幸